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「ありがとう・・」 2002/04/15
やっとこの言葉、「ありがとう」がいえるようになったよ、、茶々丸。。。
今、前向きなコトを普通に書けるのは薬が効いてるのだと思う。それでもこの言葉が言えるようになったのは、遅いけど1歩1歩前に進んでると思うし。
ねえ、茶々丸。借りていたモノを返すね。茶々丸のお骨、、。茶々丸と離れるのがイヤで寂しくて、耐えられなくて茶々丸のお骨を小さなカプセルに入れ持ち歩いていた。けれどそれはもう茶々丸に返すね。だって、骨でも茶々丸の身体だもん。私が死んだら茶々丸のお骨を内緒で一緒に入れてもらうつもりだったけど、それもやめる。こんなの自己満足で意味ないもん。それに亡くなったものの骨をバラバラにしておくのはよくないって知ったから。

動物は人間のように亡くなった自分の体に執着心がないというけど、やはり茶々丸にかえすべきだと思えてきた。もうちょっとだけ時間をもらったら土にかえすよ。そして、もう目に見えるモノには依存しない。。。
まだ、茶々丸の魂には依存してるけどね。
私が何かに迷ったときは、答えてほしい。「どうすればいい?」って聞いたときは。
でも、茶々丸の骨を持ち歩くことはしない。茶々丸は自然に帰るのが、土に帰るのが良いのだと思えてきた。
ここまで思えるにはちょっと時間がかかったけど、自分で本を読み死後の世界の話を読んだりして、自分で納得できたから。自由にしてあげる。動物ははじめから自由な生き物だと思うし。今まで私のわがままで束縛してごめんね、、

「ペットロスを乗り越えた」なんて一生言えない。いつだって茶々丸を想えば涙がとまらないし。それでも前に歩いていくよ。20年も生きてきた身体はもうガタガタだよね。早く新しい身体に生まれ変わり、また私に逢いにきてほしい。
動物の生まれ変わりは早いというよ。待ってるからね、、。
何回でも生まれ変わり、何年かかっても私のところに真っ直ぐにきてくれると信じているよ。

それからね、報告があるの茶々丸。
新しいネコを迎えることにしたから。はじめは茶々丸に対して後ろめたい気持ちもあったよ。でも違うと気が付いた。
だって、何があってもどんなことが起きても、私の茶々丸への気持ちは変わらないから。たとえ、新しいネコを迎えても茶々丸は特別な存在。子供をうめない私の子供だった。
茶々丸のベッドやトイレ、おもちゃもそのまま新しい子に使うよ。それらを見ればよけい、茶々丸を思い出せるし。。
もう目にみえるモノに依存しなくても大丈夫、言葉にしなくてもこの想いはかわらない。大好きだよ、茶々丸、。
そして20年間ありがとう。
真っ直ぐに私に向かって歩いてきてくれるよね、縁のある子として、、。
魂の再会を信じてる。


「ごめんね・・茶々丸」 2002/02/17
茶々丸にたいしては「ありがとう」って気持ちは、もちろんあるけど、それよりも謝りたい気持ちの方が強い。
初めて飼った子だから、知らないこと沢山あったけど、それでももっともっと愛してあげれば良かったと思う。
茶々丸のご飯遅くなるのわかってるのに、バイト帰りに買い物行ったり、、
帰ると玄関まできてた。
お腹空いてるのに文句もいわず、、私はそんなコトばかり、、。
もう一度時間をリセットして初めから茶々丸とやり直したい。ごめんね、、茶々丸。


「何も変わらない」 2002/01/5

何も変わらない。2002年になり茶々のことが去年になってしまった。
どんなに「もう泣かない」と思っても茶々を思えば哀しみの津波に襲われ溺れてしまう。茶々がいない苦しさは月日が経っても何も変わらない。どうして死んでしまったんだろう、、何故、いなくなってからこんなに大きな存在と気付いたんだろう、、茶々が生きてる間に、1分1分貴重な時間を噛みしめて大切に過ごせば良かった。空気のような存在の茶々が、いるのが当たり前の幸福感を意識することもなかった私は愚か。

写真の中の茶々に向かって話しかける空しさ、、。もうあの柔らかい身体を触ることも出来ない。わかっているし今更だけど、他に方法はなかったのか、病院を変えてでも検査するべきだったのか、どうしてもっと良質なフードを真剣に選び、与えなかったのか、もっともっとナデナデしてあげたかった、抱っこしたかった、遊んであげれば良かった、の繰り返し。
茶々は本当は私にどうして欲しかったんだろう、、あれで良かったのかな?
私に飼われて幸せだったんだろうか、、いつも文句も言わず黙ってる優しくおとなしい、手のかからない賢い子だった。それだけに不憫でならない。苦しいのをもっと早く気づいてあげれば、、後悔ばかり。
苦しいよ、寂しいよ、悲しい。胸が痛いよ茶々、、逢いたい。


「灰になるまで」 2001/11/21

今日は月命日。この1ヶ月間私は何をして何を考えてたんだろう。
確実なのはこの痛みを哀しみを抱きしめたまま、、灰になるまで茶々を想ってる。
そして私が灰になったら、、虹の橋で逢おうね茶々、、
茶々には言葉にない優しさを愛情をもらったから私が今、出来ることを考えてるから、、。


「平静と不思議」 2001/11/18

茶々丸がいなくなり、もう4週間経った。ううん、まだ4週間しか経っていない。
あの日のことはしっかりと覚えているのに、もう半年くらい経ってるような気がする。それだけ長い4週間だった。
私は何も変わらず前に進めない。3歩進んで3歩下がってる。
でも、哀しみは消えることは無いけれど、誤魔化すことは覚えた。
人として生きて行くために「平静を装おう」こと。誰とも話したくなくても、近所の人に逢えば笑顔で挨拶もしなくてはならない。仕事でもそう。こうしてずっと哀しみを隠して誤魔化して行くのだろう、、

数日前、不思議な感覚があった。
TVで猫の特集をしていたので、夢中で見ていたら後ろに誰かいるような感覚があった。頭の後ろあたり。
相方が私のすぐ後ろでTV見てる?って思ってたけどTVの猫に夢中で、、ふと番組終わり後ろ見ると相方はテーブルで新聞読んでた、、アレ?って、、確かに私の後ろに誰かいたような気がした。
気のせいだったのかな、、


「逢いたい」 2001/11/11

今日で茶々がいなくなり3週間。
まだ3週間しか経っていない、なんて長く重い3週間だったんだろう。我が家では笑いも消え、とても静かな暗い日々が続いている。茶々がいないだけでこんなに苦しいなんて、生きてる間に想像も出来なかった私は愚かだ。

茶々が元気だった頃、ソファでどんな格好で寝ていたのか、どうやって歩いていたのか、何故か思い出せない。思い出すのは、ガリガリに痩せてヨロヨロ、フラフラ歩く茶々。苦しくて横にもなれずに、スフィンクスの状態で「ハァハァ」と荒い呼吸をしてた茶々、、闘病中の茶々しか思い出せない。私の手には茶々のガリガリの骨の感触がまだある。
どうしても若い頃、元気に遊ぶ茶々が思い出せない。何故だろう、、
茶々は死んでしまったのに、どうして私はご飯を食べたりして普通に生きてるんだろう、、

こんなに苦しいほどに好きなのに、どうして私は茶々に何もしてあげられなかったんだろう。
もっと抱っこしたかった、もっと撫でてあげれば良かった、もっと美味しいモノ食べさせてあげれば良かった。もっと一緒にいたかった。いつも文句も言わないで私の側にいてくれた。
私が泣いてる時は不思議そうに顔を見てくれた、猫なのにブロッコリーやカリフラワーを茹でてると大騒ぎして欲しがった、焼き海苔もパリパリ新鮮でないと食べなかったね。
「ニャオーン」って可愛い声で鳴けなくて「ウルルルッッ」ってノドを鳴らすのが返事だった。「ニャー」ってたまに鳴くのは怒る時だけだったね。しつこく撫でると嫌がった。でも茶々がいるだけで癒されたし幸せだった。
もうあの時間は戻ってこない、、逢いたいよ茶々、、。


「覚えてる?」 2001/11/04

ごめんね、茶々。今日も沢山泣いてしまった。
もう泣くのはやめようと思ってたのに、、。あんまり私が泣いてると茶々が天国に行けないという人もいて。
最近は毎日のように、NETで遺骨を入れるメモリアルジュエリーを探してるの。動物霊園にもあるけど、そんなの嫌だし、カッコイイのを探してる。
茶々の遺骨の一部をアクセサリーに入れて肌身離さず一緒にいたい。だけど、こんなモノを探してる自分がたまらなく嫌なの。「なんでこんな事してるの?」って、、。

今日は暖かい午後に、茶々と一緒に見たリビングからの風景を見たね。
覚えてる?「野鳥が鳴いていた大好きだったこの風景、木の匂い、風の匂い、」だよ。でも今日は独りで見たの、、だって茶々いないんだもん。寂しくて号泣してしまったよ。あの時は一緒に見たのに、、
明日は久しぶりに、前からある予定で友達に逢うのに号泣したせいで、また顔が腫れてしまった。
何処にも行きたくない。何もしたくない。どうしよう涙がとまらなくて書けないよ。


「虹の橋」 2001/10/28

先週の日曜日、茶々丸は死んでしまいこの時間は冷たくなった茶々丸をずっと撫でていた。
長い1週間が過ぎ、これからも長い時間が過ぎていくのでしょう、、。何もしないとよけい辛いし、NETをすると気が紛れることに気づき、そして色々なことを発見した。

「虹の橋」を読んで驚き泣いてしまった。今はこの話が私の希望であり光。
いつかきっと、必ず茶々丸に逢える。
「逢いたい」というこの気持ちを強く願えば逢えると信じてる。


「苦しい」 2001/10/24

茶々はどうして死んじゃったんだろう。本当にいなくなっちゃった、、。
家の中は茶々の想いでいっぱい。なのに茶々はいない。
茶々のご飯用、ミルク用、水飲み用、おやつ用のお皿が食器棚に入ってる、、爪とぎもまだある。
リビングに置いてあるトイレ砂には茶々の足跡が残ってる。ココで茶々は、熱もありヨロヨロしながら便秘なのに必死でうんこしてた。

元気だったころテーブルの上で毎朝、私と一緒にパンのバターを舐めてた。テーブル下のマットでも寝てた。
ソファの隅はいつも茶々の席。寝室のベランダで日向ぼっこして、キッチンマットの上でいつも偉そうに座ってこちらを見てた。缶詰もトイレ砂も紙おむつも沢山残ってる。病院食も茶々の缶詰を混ぜるバーミックスは使うこともない。
洗濯してても、「これは火葬に行った時の服」「これは最後の夜に茶々を抱きしめた時の服」って、、。もうタオルで顔拭いた時、茶々の毛が付いてることも無い。冷蔵庫に缶詰の残りもない。

茶々の骨壺を開けてみた。束縛が嫌いな子なのに壺がテープで封印されてる。
息苦しいのはもう嫌だよね。ママがはずしてあげる。テープを外して茶々の骨を撫でてあげる、ヒビは入ってるけどほぼ原型をとどめてる小さな頭、、アゴには犬歯が付いてる。この歯で何度噛まれたことか、、骨の粉を舐めてみる。
逢いたいよ茶々。あの柔らかくて温かい身体はどこ?この家に居るような気もするけど見えないよ、、。
毎日、茶々の骨を撫でるけどこれじゃ物足りない。

今日は茶々がいなくなって初めて実家のバイトに行った。周りの風景も人々も何も変わらない。
私の涙腺は壊れてしまったみたいで、女子高校生を見ても、スーパーで大根を見ても涙が出てくる。外では泣いた顔見せたくないし、何も知らない母親にも心配させたくないので普通に振る舞う。
本当は外へ出たくない。誰にも逢いたくない。何もしたくない。
もう買い物へ行ってもバイトでも帰りは急ぐこともない、「茶々が待ってるから」なんて急ぐ必要はない。けれど、何故か茶々は、家の中にいるような気がして早く帰る。きっときっと茶々は、この家の中のどこかにいるはず、、ただ見えないだけ。

逢いたい!逢いたいよ、茶々。どうして見えないんだろう。今どこにいるの?
もう誰も私のことを待っていてくれない、誰も私を「ママ」と呼んでくれない。なんでいなくなったんだろう。
リビングのドアのガラス部分にいつも影が映ってた。ドアを開ける時、危ないのでゆっくり開ける習慣がまだ残ってる。外猫ちゃんにご飯あげたあと、病気予防に薬用石けんで2度洗いすることも。
ハンドクリームをつける時も、手のひらにはつけない。手の甲にだけ。クリームの匂いを嫌がる茶々の為。私の身体に染みついた20年間の習慣がまだ残ってる、、。

ぼんやり信号待ちしてる間、クルマの流れを見て「あのクルマが私に突っ込んでくればいい」と思った。
私も肺ガンになりたいと思った。そうすればあの時の茶々の苦しみを少しでもわかってあげることが出来るから。
ごめんね、茶々。もっともっと可愛がってあげれば良かった。もっと早く病院へ連れて行けば良かった、、。
寂しかったよね、私がPCやゲームしてる間も静かに文句も言わずに寝ていてくれた。
もっと沢山撫でてあげれば良かった、、。ごめんね茶々、、。
茶々のいない残りの人生なんてもうおまけみたいなモノ。もうどうでもいい。
毎日苦しくて気が狂いそう。こんなに大好きなのにどうして離れなきゃいけないんだろう、、


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